私が「視覚障害者の婚活」を支援しているワケ

目次

複数の偶然と私自身の経験が、現在の活動を始めるきっかけになりました。
今回は、なぜ私が視覚障害者の婚活支援を始めたのかをお伝えしたいと思います。

私が全国視覚障害者結婚相談所で、視覚に障害のある方の婚活を支援するようになったのは、今思えば、まるで流れに導かれたかのような必然でした。特別なきっかけがあったわけではなく、いくつかの偶然が重なり、自身の人生経験も相まって、今の私があると感じています。今回は、私がこの活動を始めるに至った、少し個人的な背景をお話ししたいと思います。

小学生、そして大学生。「点字」との不思議な縁

最初のきっかけは、小学校の頃にありました。何となくクラスのみんなに誘われるがまま、点字クラブに入部したのです。当時の活動は、本の点訳をしたり、すごろくに点字をつけたりと、遊びの延長のような感覚でした。点字に触れるのはそれが初めてでしたが、その時はまさか、将来の自分の仕事に繋がるとは夢にも思っていませんでした。

時は流れ、大学生になった頃、また不思議な縁が訪れます。友人が「点字研究部に入部する」と言い出したのです。私は特にこれといったサークルに入るつもりもなかったので、これもまた誘われるがまま、一緒に点字研究部に入部しました。そして、そこで初めて、実際に視覚障害を持つ方々と出会うことになります。

初めての出会いと、驚きの連続

それまで、街中で白杖を持っている方や、もしかしたら白杖がなくても目が不自由な方を見かけたことはあったかもしれません。しかし、私が「視覚障害者」ということをはっきりと認識し、直接交流したのはこの大学の部活動が初めてでした。部員には全盲の方も多く、正直なところ、当初は「全盲」と「弱視」の違いもよく分かっていませんでした。後になって、「あの人、実は少し見えていたんだな」と知ることもあり、自分自身の認識不足を痛感することもありました。

この学生生活を通して、視覚障害のあるたくさんの友達ができました。そして、彼らと一緒に色々な場所へ遊びに行きました。手引きの経験などもちろんありません。言われるがままに肘を貸し、隣を歩く。それが、私の初めての手引きの始まりでした。

彼らとの交流の中で、私はいくつかの「驚き」を経験することになります。

「見える」からこそ気づかなかった世界

ある日のこと。私は電車移動があまり得意ではなく、特に池袋のような巨大な駅は、何本もの路線が乗り入れていて、正直なところいつも迷っていました。そんな私が、視覚障害の友人を手引きして池袋駅を歩くことになったのです。私は正直に「私、全然分かんないんですよね、池袋駅…」と打ち明けました。すると、友人からは意外な言葉が返ってきました。

「大丈夫。僕が道案内するから。」

彼の言葉通り、「JRの券売機を過ぎたら左に曲がって、次のキヨスクが出てきたら、右」というように、彼は実に的確に道案内をしてくれました。そして、私たちは無事に目的地へ到着することができたのです。驚いて「どうしてわかるんですか?」と尋ねると、「池袋なんてわかりやすい駅だよ」と彼。なんと、駅の構内図が頭の中に完璧に入っていると言うのです。

この時、私はハッとしました。自分は「見えるがゆえに」、いつも頭上の標識ばかりを見て進むので、一向に駅の構内図が頭に入らないのだと。彼は見えないからこそ、空間認知能力や記憶力など、私たちとは異なる方法で世界を理解していたのでした。このことは、道案内は見える者がするものだという私の固定観念を崩してくれました。もちろん、視覚障害者の全員が彼のようではないと思いますが、見えないからこその強みをここに感じました。

映画館での気づき:共有する体験の価値

こんなこともありました。「今度一緒に映画を見に行かない?」と誘われたのです。映画は「見るもの」という固定観念があった上、ファンタジー映画だと聞いて、正直なところどうやって見るのかなと疑問に思いました。しかし、友人を含め4人ほどで連れ立って、映画館へ足を運びました。

しばらく映画を見ていると、友人から「今は誰のセリフだったの?」と尋ねられました。以降は、効果音だけの場面や、状況説明がセリフでなく映像で表現されている場面では、できるだけ画面がどんな感じに展開しているのか、隣でそっと耳打ちして伝えました。映画が終わってから、彼が「一応原作は読んだんだけど、結構変わっているところがあったね」と言っているのを聞いて、なるほどと納得しました。

そんなこんなで、学生時代は映画やボーリング、食事、初詣、花火大会、旅行、遊園地、飲み会など、本当に多様なことを一緒に楽しみました。

自身の婚活経験と、支援への決意

そして社会人になり、私は最初の結婚を経験します。しかし、残念ながらこの結婚生活は5年で終止符を打ちました。その後、私自身も独自に婚活を行いましたが、最終的には結婚相談所の力を借りて、再婚を果たすことができました。バツイチであることで、自分なりに苦戦しているなと感じていました。

念願だった子どもにも恵まれ、その子が1歳になったとき、私は「同じように再婚活をしようと思っている人の力になりたい」という強い思いから結婚相談所を始めました。これが、私が結婚相談所を始めたきっかけのひとつです。

ちょうどその頃、同年代や少し上の世代の視覚障害者の友人から、切実な声を聞く機会がありました。「結婚相談所で活動してみたいけれど、なかなか良い相談所が見つからない」「入会したかったけれど、受け入れてもらえなかった」といった話です。この話を聞いたとき、学生時代に培った視覚障害者の方々との交流経験と、私自身の婚活、そして結婚相談所での再婚経験が、一つの線で繋がったように感じました。

「視覚障害者の方々が、もっと安心して、そして使いやすい結婚相談所を作りたい」。その強い思いが、現在の「全国視覚障害者結婚相談所」を運営する原動力となっています。

最後に

私自身の経験と、視覚障害のある友人たちとの出会いが、今の私を形作っています。これからも、一人でも多くの方が幸せなパートナーと出会えるよう、心を込めてサポートしていきます。

さらに

最後まで読んでくださりありがとうございます。
私が「視覚障害者の婚活」を支援しているワケがおわかりいただけたでしょうか?
ですが、他にもまだ理由があるんです。
気になる方は無料のご相談のときにぜひ聞いてみてくださいね。きっとなるほど!と思いますよ。

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